霞が関から今につながる私の使命—桑原 智隆 [Staff Interview]

March 1, 2021 スタッフインタビュー

「官公庁と、スタートアップって一番遠い存在だと思うでしょう? でも決してそんなことないんですよ!」と熱く語るのは、経産省出身でスタートアップも経験した異色のキャリアを持つ桑原智隆。経産省で20年のキャリアを持つ桑原が、なぜScrum Venturesに参画したのか?

スーツを着こなす元霞が関官僚が、 ベンチャーに関わる不思議

カリフォルニアのベンチャー企業といえば、ジーンズにTシャツで自由……というイメージだが、桑原さんはスーツを着こなす霞が関出身。なぜ、経産省に?

将来を考え始めた中学・高校の頃は、’80年代の『Japan as No.1』に至る高度経済成長の余波で、海外に行っても、駅前や街の目抜き通りの一番いいところに、日本の自動車、電器メーカーの看板やネオンがあるような、日本にとても勢いがあった時代でした。

大学に進学して社会に出た’90年代は、いわゆるバブルも崩壊した後、インターネットが普及し始めた頃です。日本経済の先行きは様々な見方がありましたが、それでも友人の多くは、日本の有名企業に就職し、それらの会社で活躍しようと思ってました。

一方で、日米経済摩擦というのもありました。自動車や半導体などの領域で、日本の勢いがあり過ぎて、日本は自主輸出規制をしなければならないほどでした。つまり経済って、ただ良い製品を作って上手にマーケティングしたら売れるいうことではなくて、通商外交とか、WTOのようなルールメイキングを政策的に上手にやらないといけないということです。

そういうことをやりたくて経産省……当時は通産省と言いましたが……に入ろうと決意しました。

実際に通産省に入って、何をやったのですか?

当時の日本は『自動車』『半導体』といったモノづくりでいくのか、イノベーションを加速するのか、当時日本が一歩先んじていた環境問題への対策でいくのか、そういう長期的な戦略を考える必要がありました。

私は環境問題に手を打つべきだと思ってました。エネルギーは経済安全保障の柱だと思っていましたから、最初は資源エネルギー庁に行きたかった。

エネルギー政策って、公共政策でいうと総合科目なんですよね。エネルギーセキュリティを確保しながら、環境と適合し、経済も回さなきゃいけない。環境問題は経済と相反するものではなくて、経済政策も環境問題の解決のためには大事なんですね。たとえば、自動車ならエコカーの普及。世界で先んじて環境性能で車が選ばれる世の中になれば、エコカーのビジネスで産業競争力が増すような政策が必要なのです。

また日本全体が高価なエネルギーで動いていると、産業全体が高コスト構造になり、全体に競争力が低下しますから、低廉なエネルギーというのも大事なわけです。低廉なエネルギーを安定して提供するためには、外交というのも大切です。たとえば中東との付き合いとか、マラッカ海峡の治安もあります。

シリコンバレーの風に当たって、生まれたパッション

すごく大きな政策に関わっていたのですね。その後、シリコンバレーに赴任された?

次に私がやりたかったのは自動車産業だったんです。自動車産業って、関連産業を含めると500万人以上の雇用を持つ、大変すそ野の広い産業です。国内の雇用や地域経済を支え、外貨を稼げる自動車産業は日本の4番バッターだと考えていました。ところが、新興国の追い上げ、その頃のリーマンショックによる需要減、環境対応など、日本の自動車産業を取り巻く状況は大きく動いていました。その後、コネクテッドカー、デジタルやインターネットとの接続などを考えねばならない状態になりました。

だから、志願して、2010年にシリコンバレーに赴任をさせていただき、2013年までサンフランシスコで仕事をしました。ゲームチェンジを先取らねば、という想いでした。

経産省を辞めてベンチャー企業のOrigamiへ

その後、日本に帰ってきて、どうされたのですか?

日本を外から見る経験をして、日本の良さや可能性が十分に解き放たれていないと感じました。官民が垣根を下げて、産業や生活の身近なシーンが変わるイノベーションの社会実装を、経産省や成長戦略の真ん中に入れたいと考えていました。

2013年環境政策、2014年IT政策をやって、2015年から約2年半にわたって、成長戦略を担当する機会に恵まれました。

ペルソナを設定して、未来の絵姿からバックキャストして、官民でコンサルテーションして具体的な担い手づくりも考えつつ、今年1年、どんな規制改革をするか、税や予算をどうするか、を考えていきます。そういう成長戦略の企画立案を、各省からの同僚や先輩とやっていました。

しかし、経産省をやめて、ベンチャー企業のOrigamiに参画されました。なぜ?

現在の日本は少子高齢化や、人口減少下で地域がどうなるかなど『社会課題先進国』です。これをどう『社会課題「解決」先進国』とするか? というのが、アベノミクスの成長戦略の鍵でした。ひとつひとつの分野、目指す生活シーンの絵姿を見ていった時に、その未来投資の主役は民間の担い手だ……と私は考えていました。

これはもう少しギアを変えて、具体的な民間の担い手づくりを加速しなきゃいけない。政府の方針というだけでなく、もうちょっと主役の民間と省庁、官民の垣根を下げて連携しないと間に合わない。そう思ったのが2018年のお正月でした。

私にとってはサンフランシスコの赴任経験が大きくなインパクトでした。外から日本を見たのが大きかったんですね。起業家や企業の方、またDeNAやmixi、そういうIT系企業の現地法人のトップの多くが同年代だったので、胸襟を開いて語り合うことができました。そこから学んだものが大きい。

ちょうど、2010年に赴任したので、初期のiPhoneやiPadが登場して、いろいろ大きく変わってくワクワク感みたいなのがあった時代です。Uberが出て来て、世の中が変わって行く様子を身近に見ることができました。

そんな経験をして、日本の現状を見た時に、政策側から呼びかけて変えて行くだけではもう間に合わないかもしれないと危機感を抱きました。役所の中にイノベーションを支えてくれる先輩や優秀な仲間、後輩というのはたくさんいる。自分は、むしろ思い切って、霞ヶ関を飛び出して民間の立場で民間のうねりを作るべきなのではないか、と思ったんです。

その瞬間までは、僕自身は一生経産省で働いていくんだと思っていたのですが、もう考えてしまった以上、チャレンジせずにいられない。大袈裟ですが、誰かがこれをやらなければならない、やるなら自分かもしれないと。

辞める時には、どこに行くかは決めていなかった?

2017年の秋、ある企業が主催したカンファレンスがありました。そのカンファレンスに私は内閣官房の成長戦略担当の立場で、政策を説明するために登壇しました。

同じカンファレンスの登壇者の中のひとりがOrigamiの康井義貴社長だったんです。

決済を入口にして、大手企業の顧客接点をデジタル化してDXを進める、地域を支える中小事業者の方々の生産性向上と地域活性化につなげる、人がすべきことに集中するためにデジタルを活用・連携できる状態を作ろう……というのがOrigamiでした。

もちろん、その時は官僚としてスタートアップのひとつとしてOrigamiを見ていましたが、後に霞が関を飛び出して民間で動くべき……と考えた時に、行き先として浮かび上がってきたのがOrigamiでした。

2018年3月30日の未来投資会議を最後に経産省を退職して、週明けにOrigamiに向かうことになりました。

Origamiを去り、コロナ禍の時代をフリーランスで過ごす

でも、Origamiを去ることになった?

Origamiには本当に素晴らしいエンジニアや、事業開発、セールス、マーケ、ファシリティやカルチャーのメンバーがいました。株主やパートナー企業、加盟店、自治体の皆様にも大変ご支援いただきながら挑戦しました。

しかし、2020年2月にOrigamiがメルカリグループに参画したことに伴い、退任をしました。退任をするまではOrigamiでの自分の目の前の仕事に集中していましたので、退任後に少し時間をかけて新たな道をどうするか、考えていくことになりました。

そこからScrum Venturesへ?

しばらくは、どこかに所属するということなく活動しました。

次の道を考え始めたのは、退任後の昨年3月なのですが、ちょうどその頃は、コロナの感染が街中に広がり始めた時期。国難的な状況、生活必需品の重要性が再認識され、影響が社会経済に幅広く及んでいく状況でした。

3月から4月にかけての霞が関は緊急対応に手一杯で、経産省の仲間達も目の前のコロナ対応に奔走している様子でした。まず感染拡大の抑制、医療提供体制が最優先です。一方、私は、その先にはこの危機をきっかけにして、グローバルにイノベーションが大きく加速すると考えていました。

私の中で「コロナの感染症対策が首尾よく出来ても、コロナ後のイノベーションで遅れをとるのではないか?」という危機感が膨らんできました。イノベーションの社会実装こそコロナ克服の鍵であり、コロナの社会変容はデジタル化や前向きな変革の機会とも考えました。

だから、私はスタートアップや企業に関する情報、世界のコロナのトレンドレポートの面白い情報を経産省の先輩や仲間に伝えるというようなことをやっていました。何の立場もなくですが。

Scrum Ventures 宮田との再会

そのうちに、シリコンバレー時代に友人であったScrum Venturesの宮田さんから連絡をもらって、「次、まだ何も決めてないと思うけど、お互いキャッチアップしようよ」と言われて会ったんですね。食事を一緒にしながら、お互いのこれまでの取り組みについて、情報を交換したりしました。

そこからなぜScrum Venturesを選んだのですか?

私はデジタル化の潮流と、コロナ禍の社会変容を、前向きな未来への変革の機会にしたいと考えていました。Scrum Venturesは、「世界と日本をつなぐイノベーションのOS」というミッションを掲げています。Society 5.0 × New Normal、その原動力となる生活者目線のDXの推進を、民間が主役の事業化を通じて社会実装していく、と私が考えていた方向性に合致していました。

シリコンバレーと日本のベンチャー、大企業、投資家を繋ぐScrum Venturesの事業に携われるのは、私が経産省を辞めた時に考えていたことを実現するのに、最高の立ち位置でした。

今後、Scrum Venturesでどういうことをやっていきたいですか?

たとえば、私が今Scrum Venturesで関わっているのはSmartCityXのプロジェクトです。

SmartCityXは「ニューノーマル時代のスマートシティ」をテーマに事業を共創するグローバル・オープンイノベーション・プログラムです。ベンチャーのテック・ビジネスモデル・スピードに、大企業のリソース・顧客基盤・社会的信用を組み合わせて、さらに政策とも繋いでいく。また、積極的に新しいことに取り組む地方自治体を巻き込んでいく。

それは、多様なWell-beingの実現に向けて、業種を超えた成長戦略の推進を、民間が主役で進めていく挑戦です。民間から取り組み、霞が関とも連携して取り組んでいきたい。それが、20年間経産省にいて、シリコンバレー勤務や成長戦略を担当させていただいて、スタートアップで素晴らしい仲間と挑戦した経験をさせてもらった、今の私の道だと思っています。

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